ことばdiary

特別支援教諭を辞める小1の母

特支教員としての力量とは

こんにちは、kinosatoeです。

暖かい日が多くなり過ごしやすいなと感じる一方、気温の変化による体調不良が、自分も子どもたちにも見られる季節だなと感じます。

 

暖かくなると、血管が広がり血圧が下がり、ぼんやりと緩慢になったり眠くなったりしますね。

 

スクールバスで登校中に珍しくぐっすり寝てしまい、着いても起きない…ですとか、

椅子に座ったままぼんやりとして、指示への反応も薄い…ですとか、

そんな姿がちらほら見られました。

 

さて今日は、特支教員の力量ってなんだろうか。

そんなことをふと考えましたので、書きたいと思います。

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力量がある先生は、つまりどんな先生でしょうか。

 

自分が学生の頃、「授業は分かりやすいけどちょっと怖い」とか、

「自分たちの学年では子どもにも保護者にも慕われてたのに、他の学年では煙たがられていた」などの様に、

 

良い面も悪い面もある みたいなことだったり、

価値観の違いで捉え方が違ったりすることがありました。

 

ですので、力量がある先生は〜…と一概に言うことは難しいなぁと思います。

 

 

では改めて、特別支援教育における力量とは。

 

私が一番に思いついたのは、

【広い視野と柔軟な発想、気付く力】です。

 

さらに付け加えるとしたら、

【広い視野と柔軟な発想、気付く力】で得た何かを

【実行する力、対応力】もですが、

 

前者がある先生は、もれなく後者も持ち合わせていることが多いと感じます。

もしくは、周囲に協力を求めながら行動していける先生だと思います。

 

 

特別支援教育においては障害特性の理解は必須ですが、どれだけ知識が豊富でも、それが指導力・支援力として活かせなければ、力量のある先生とは言えないのかな、と思うのです。

 

 

ここからは、特に小学部を想定した話にします。

 

知的障害のあるお子さんの、物の見え方、音の聞こえ方、さまざまは感じ方は、教員である私たちとは全く異なるものだと思います。

 

教員でなくとも、社会の多くの人とは違い、故に、障壁となるものが生まれているのだと考えています。

特別支援学校で働いていると、「ここが一般社会」「この子たちはごくごく普通」と感じてくることがあります。

教員数より、児童数の方が多いですからね。自分の方が、子どもたちの世界に馴染んでくる感覚でしょうか。

 

 

そして、一人一人がそれぞれに全然違うのです。

例えば同じ診断名でも、認知や感覚まで全く同じではないということです。

(障害特性として共通することも、もちろんあります)

 

 

そんな子どもたちと接するとき、【広い視野と柔軟な発想、気付く力】があると、どんな風に活かされるでしょうか。

 

例えば

 

偏食の理由はどこにあるのかな?ということに気付き、改善策に辿り着きやすいです。

食べることを拒否するお子さんは、促されると拒否します。そこしか見なければ、とても理由は分かりません。

「こんな少しだけだよ!食べてみて!」で、食べてくれたら苦労はしないわけです。

 

においなのか、温度なのか、具材の色や形なのか、はたまた盛り付けられた器の問題なのか…

広い視野で子どもとその食べ物を捉え、これはどうかな?と試行錯誤し、その中で見せた子どもの些細な反応を見落とさない。

 

そうすると、「食べられたねー!」という成長

につながるのです。

 

 

他には、

とにかく何かにつけて拒否が強い、大声を出したり泣いたりして取り組めないお子さん

についてはどうでしょうか。

 

どこに拒否ポイントがあるのか?を突き詰めず、「一緒にやってみよ!」「見てるだけでいいよ!」だけでは、根本解決にならなかったり、その子がただ我慢するだけだったり、逆に拒否を強めてしまったりする可能性があります。

 

この場合では、

活動を用意した教員はもちろん全て把握してるけれど、子どもにとっては「何をするか分からない不安」があったかもしれない。

そこに、その子特有の苦手要素がほんの少しあったのかもしれない。

 

「やらせられる」感覚に拒否が強く、活動内容は苦手でないけれど、教員の提示方法や誘い方が適切じゃなかったかもしれない。

 

一斉授業の周囲の音や周りの視線が耐えられず、嫌だと言う表現方法も分からず泣いていたのかもしれない。

 

 

無限の可能性が考えられるのです。

その可能性の中から絞っていくためには、普段の様子からその子の特性や世界を想像する力が必要ですし、些細な言動に気付かなければなりません。

 

細かい視覚支援のスケジュールが手元にあると安心したとか

選択肢さえあればできたとか

「嫌だ」の意思表示の方法(カードやサイン)を習得したら、泣かずに見ることだけはできたとか

 

そんな成長につながると思います。

 

 

この様な例えも、挙げ出したらキリがないのですが…

小学部のお子さんに多そうなケースで書いてみました。やや低学年よりですね。

 

例えがネガティブな内容になってしまいました。

もちろん、ポジティブな面を更にのばすというケースもありますよ。

また機会があれば書いてみたいと思います。

 

 

また、少し指導的な意味合いが強くなりますが、

入学まで集団生活の経験がなくルールに沿って動けないとか、

大人の指示がほとんど通らないとか、

そういったお子さんが入学されることも珍しくはありません。

 

お子さんにとっても、「友だちを待つ?!」とか、「言われた通りにする?!」などと困惑することだと思います。

 

この場合でも、

【広い視野と柔軟な発想、気付く力】があれば、無理強いしてルールに従わせるのではなく、その子の段階に応じて低いハードルの課題設定をしたり、

好みからヒントを得て、楽しくルールのある活動が設定できたりします。

 

指示の仕方ひとつでも、その子の気を引きやすい言葉、声量、タイミングに気付き、即座に実行できる力のある先生は、本当にすごいです。

 

そして、そういう先生は、少しのことでも即座に褒めてくれます。

お子さんが「ハッ」とした瞬間や、ほんの一つでもできたことに気付いてくれるからです。

 

「〇〇先生の言うことは聞くんだよね」なんてお子さんも実際によくいますが、それはその先生が怖いからではなく、

その子の特性に合わせて分かりやすい指示をくれるから。

些細なことでも褒めたり認めたりしてくれることで、正しい行動が分かり、自信がもてるから。

 

だと思うのです。

 

 

小学部のお子さんはおしゃべりしない子も多いですし、言葉はあってもコミュニケーションは成り立たないとか、暴言など不適切な表現になるケースもあります。

 

そして、教員とは異なる見え方や聞こえ方、感じ方で生活しているわけです。

 

だからこそ、教員は自分の価値観や感覚にとらわれず、広い視野で柔軟に考え、アンテナ高く気付いて支援にあたる力が必要ではないかな…と考えています。

 

 

私は、そんな力量のある先生方にたくさん出会いました。

一年間で見違えるほど落ち着いたり、できることが増えたりします。

 

自分もそんな先生でありたいなと、振り返りながら書きました。

 

お読みいただき、ありがとうございました(^^)

 

3学期明けて考えること

こんにちは、kinosatoeです。

私の住む地域では、冬休みが明けて2週目に入りました。

 

夏休みほど長くないですし、お子さんたちの生活リズムはさほど崩れていない印象です。

 

ただ、コロナやインフルエンザが増えています。

風邪っぽい症状だけでなく、

いつもは平気なことなのに怒っているとか、

逆に穏やかすぎてボーッとしているとか、

排尿が少ないとか、

 

言葉で「調子が悪い」とは言わなくても、よく観察していると、普段と違う様子が顕著に現れることはよくあります。

そういった点を見落とさないようよく観察して、小さなことでもご家庭に報告することを大切にしています。

 

さて今日は、

怒涛の3学期について、新学期になって考えていることを書いてみます。

 

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新年が明けると、【来年度が近づいてきた…】と、ついつい意識が向きます。

来年度の新入生が、もうすぐ決定するという時期です。

入学者数が決まると、クラス数が決まります。

クラス数が決まると、教員数が決まります。

 

初めの頃の投稿でも触れましたが、

教員数が十分でないために、子どもたちの活動が制限されたり、支援が行き届かなかったりします。

また、教員側も、1人違うだけで天と地ほどの差に感じるほど、大変さが変わります。

 

なので、「来年度は教員数どうかな?」と気になる先生方は多いと思います。

 

もちろん、「どんなお子さんが入ってくるかな?」も気になりますが、何というか…

どんなお子さんが入学してきても、やることは変わらない、と言いましょうか。

 

個に応じた支援ですので、取り組む内容は違うのですが。

 

支援者としての心構え、すべきことは変わりません。

「どんなお子さんに会えるか楽しみ」

「どんなお子さんもどんとこい」

と、私は思ってきましたし、多くの先生が同じ気持ちだと感じてきました(^^)

 

ですが、教員数だけは…

「1人でも多く欲しい」と切実に願ってしまいます。

 

 

また、来年度に意識が向くのと合わせて、

現在担任しているお子さんが、ここまでどんな風に成長してきたかな?

進級するにあたって、あと2.3ヶ月でどんな力を伸ばしておく必要があるかな?

来年は、さらにどんな力がつくといいかな?

…と考えています。

 

1学年の締めくくりですね。

 

学校にもよるとは思いますが、高等部の入試のためお休みがあったり、

入学説明会のため変則日課だったり、

卒業式だったり、学校全体としても忙しいです。

 

バタバタだけれど、すべき支援は丁寧にしたい。

1年間頑張ってきた子どもたちに、なるべく多くの楽しい思い出や経験をもたせてあげたい。

 

そんなことを考えながら日々を過ごすうちに、きっとあっという間に3月を迎えると思います。

 

 

そして、少し先の話にはなりますが、

学校の年度末というのは、

【終わった瞬間始まる】、むしろ

【終わる前から次が始まっている】

そんな感覚があります。

 

3月の20なん日に終業式を迎え、

4月の1日には、新年度の職員会議が始まるのです。

この10日足らずの間の忙しさといったら…という感じです。

 

忙殺されないよう、今から計画的に仕事をしなければ…!

と考えているところです。

 

 

子どもたちの体調管理に気を配るとともに、自分自身も体が資本ですので、体調を崩してしまわないよう気を付けます。

 

今日もお読みいただき、ありがとうございました(^^)

 

障害のあるお子さんが被災したら

こんにちは、kinosatoeです。

 

一昨日は特別支援学校の避難訓練について書きました。

今日は、学校に限らず、例えば避難所で過ごすなど被災してしまった時のことを考えてみます。

 

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知的障害のあるお子さんが避難する際、不安材料となる点はいくつかあります。

それらの詳細や、周囲ができること、本人が付けておきたい力など…

対策?となるかは分かりませんが、書いてみます。

 

 

一つ目は

【多動、衝動性、不注意、こだわりなどから、安全に外を歩いて避難することができるか】

避難経路がどんな道かによりますが、気になることがたくさんあったり、こだわりがあったりして、スムーズに経路通りに歩けるとは限りません。

 

ご家庭としてできることは、日頃から家の周りを歩いておくことかと思います。

どこか危険そうか?お子さんがどこが好き/怖いか知っておくこと。

 

そして学校では、例えば

「外を歩くときはかならず手を繋ぐ」とか

「行きたい所があっても我慢して、決められた道で目的地まで歩く」とか

「先生や友だちと、集団で歩く」とか

そういった意識をもたせることと、実際にできるように練習する必要があると思います。

 

ご家庭の話に戻りますが、できるのであれば、日頃からご近所さんや地域の方にお子さんのことを知っていてもらうことは、非常に重要なことです。

 

避難する際に、安全確保の補助をしてもらえるかもしれない。

親御さんがお子さんに集中できるよう、荷物を持ってくれるかもしれない。

…そんな可能性が考えられます。

 

 

 

不安な点 二つ目です。

【避難所で落ち着いて過ごすことができるか】

初めての場所、いつもと違うルーティン、人がたくさんいてざわざわした空間、音やにおいの刺激など…

障害がなくても避難所生活はとても厳しいものですが、障害特性としてや、感覚的に人一倍辛い思いをする可能性があります。

 

そして、それを言語や身振りで周りに伝えることも、難しいお子さんは多いと思います。

 

 

では、そんな状況で、あるといいな…と思う配慮や、お子さん自身の力とは。

 

・安心できる居場所の確保

例えばお気に入りの毛布、クッションやイス…など、「この場所にいればOK」と思える、居場所の目安となる何かがあるといいかと思います。

多動のお子さんは、あちこち動き回りたい・動いてしまう様子が見られますが、「ココだよ」という居場所としての対象物があると、その場に留まりやすいと思います。

それが、お気に入りだったり、普段の生活で使っている物だったりすると理想ですね。

 

・感覚過敏への配慮

ざわざわした空間が苦手なお子さんは多いと思います。可能であれば、出入り口の近くや隅っこ、音が反響しにくい所など…でしょうか。

(多動や衝動性が強いお子さんは、出入り口付近だと飛び出しの危険⚠️もありますので、一概には言えませんが)

 

また過敏ではないですが…

体温調節が難しく、特に熱がこもりやすいお子さんはとても多いです。

熱中症の危険性も高いですし、身体面の不快から他害や自傷が出てしまうこともあります。

 

 

お子さん自身としては、苦手な刺激を軽減するグッズを持っておくといいと思います。

イヤーマフといって、ヘッドフォン🎧のような物を持ったり常に着けたりしているお子さんもいます。

 

家庭では特に問題がなくても、学校など集団に入ると、周囲の音が原因で活動に支障が出るということはよくあります。

 

学校で試着したり、先生から打診されることもあるかもしれません。

常に必要でなくても、「うるさくて嫌な時は着ける」状況があるようなら、是非ひとつ持っておくといいかな、と私は思います。

 

災害時に限らず、テーマパークやゲームセンターで、イヤーマフのおかげで楽しめた!というお子さんもいらっしゃいますよ(^^)

 

 

続いては

・好きなこと(余暇)  を持つこと。

興味関心の幅が限定されていて、好きなことや楽しめることが少ない、というお子さんは結構います。

 

決められた工程をその通りにこなすことが得意なお子さんも多く、「いつも通り」であることで落ち着いて過ごせるのですが、

「休み時間だよ、好きなことしよう」となると、これと言って好きなおもちゃや遊びもなく、教室内を歩き回ったり外に出ようとしたりしてしまうのです。

 

なので、例えばおもちゃ、絵本、ビーズ遊び。タブレットなどでもいいです。

 

避難所での時間を過ごす術として、好きなこと、楽しめることをなるべくたくさん持っておくといいと思います。

 

災害時、好きなことが思うようにできないことは想定されますが、お子さんの好みが分かっていれば、工夫できることもあると思います。

 

学校でも、興味関心の幅を広げるために、さまざまな物事を経験できるよう意識しています(^^)

 

 

最後は、

・状況を視覚的に分かるようにすること。

 

例えば、家になぜ帰れないのか?

道が崩れたり家の中が散らかって危険なことを画像などで示す。

 

いつまでここにいるのか?を、カレンダーを使って示す。

 

今日することを、手順表や画像で順に示す。

…などでしょうか。

 

他にも、何か食べたい?とか、暑い寒い?とかの質問も、口頭だけでは分かりにくかったり答えることが難しかったりします。

視覚的に分かるように、実物を示して尋ねることも有効だと思います。

 

「分からない不安」を取り除くため、視覚的な手法を用いることは重要かと思います。

 

 

 

二つ目が長くなりました。

三つ目の不安は、

【非常食が食べられるかどうか】です。

 

健康状態に直結する問題ですね…

 

ご家庭でも学校でも、偏食の課題があるお子さんは多く、どんな苦手さがあるかは様々です。

・野菜全般食べられない

・白ごはんはダメ(ふりかけや海苔が必要)

・白ごはんしか食べない

・具材が混ざっていると食べられない

・何の食材か分からないから食べられない

・特定の食感のものは食べられない

・決まった食器じゃないと食べたくない

・熱さ、冷たさが理由で食べられない

・初めてのものは食べられない

 

…などでしょうか。

 

好き嫌いの問題だけではなく、味覚や嗅覚、温度、認知面など、お子さん本人も困っている要因があって、偏食になってしまっていることがあります。

 

非常食は、種類も豊富になり味もどんどん美味しくなっているとはいえ、普段食べ慣れていないもの、であることには変わりないかと思います。

 

なので、ご家庭で非常食を用意される場合は、好みに合わせるのはもちろん、時々食べて慣れておくといいかと思います。

パッケージも見慣れておくと、「これは好きな食べ物!」と安心できるかと思います。

 

また、避難所では、支援物資として非常食ではない食品が届くこともあるかと思います。

お子さんが見慣れている、食べ慣れている、食べ物が手元に届くといいな…と願います。

 

 

学校としてできることは、

苦手なものを減らすこと、だと考えています。

 

完食できれば花丸ではありますが、無理して、辛い思いをして、食べることが嫌になって、完食する必要はないです。

 

お子さんの実態に合わせて、

ほんの一粒だけ頑張ろう!と、葛藤しながら一粒食べる子もいれば、

好きなものと交互だよ、と交渉しながら苦手な物も食べる子もいます。

 

噛まずに出してもいいから口の中に入れてみよう、という段階から取り組むお子さんもいます。

 

苦手だけど頑張れた!と本人が自信をもてたり、

褒められて嬉しいと思えたり、

頑張った分のご褒美があったり、

 

お子さん本人が頑張ろうと思える支援をして、少しずつ少しずつ慣れることを目指します。

 

でも、

口に入れることすら嫌なのに…無理強いなのでは、と感じられるかもしれません。

ですが、不思議なことにすっごく嫌がってたお子さんでも、ずーーーっと状況が変わらない、ということはないんです。

 

食べてみたら大丈夫だった、とか

だんだん美味しくなってきた、とか

食全般の抵抗感が減った、とか

 

入学当時のまま1年生を終えるお子さんに、私は今のところ出会ったことがありません。 

 

ご家庭では難しくても、学校だとやりやすいことは、「きっかけ作り」だと思います。

環境が変わること、新しい先生に出会うこと、自分と同じように頑張っている友だちに出会うことで、変化が生まれやすいのだと思います。

 

 

…非常食の話のはずが、偏食の取り組みの話が長くなってしまいました。

すみません。

 

被災・避難所生活という過酷な状況では、空腹でないこと、好きなものが口に入ることが、心と体の健康を支えると思いますので、しっかり備えておきたいと思います。

 

 

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【多動、衝動性、不注意、こだわりなどから、安全に外を歩いて避難することができるか】

【避難所で落ち着いて過ごすことができるか】

【非常食が食べられるかどうか】

 

の三つの不安について書きました。

細かく考えれば、もっと様々な不安があるとは思います…

でも、障害のあるお子さんには不安だらけ、というわけではありません。

 

状況判断に長けている子もいるし、

安全に過ごせる子もいるし、

自分のことより家族のことを心配して過ごす子もいると思います。

 

障害特性ゆえに、周囲の人が気付きにくいこともあるけれど、お子さんの内面にはたくさんの思いや頑張りが詰まっています。

それらを信じつつ、困難さがあることに配慮して、必要な時はいつでも手を差し伸べられる環境であるといいな…と願います。

 

被災地で頑張っている皆さんへ、お見舞い申し上げます。

心と体が休まりますように。

 

 

お読みいただきありがとうございました。

特別支援学校の避難訓練

新年明けましたね。

こんにちは、kinosatoeです。

 

能登半島地震で被災された方々へ心を寄せながら過ごすお正月です。

亡くなられた方のご冥福をお祈りします。

 

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特別支援学校でも、避難訓練や防災訓練が行われます。

 

本校では、地震を想定してグラウンドに集合する避難訓練が毎年行われています。

 

その他、起震車の体験や、消火体験、煙の体験、消防の方のお話。

スクールバスでの登下校時に地震が発生したという想定で、保護者への引き渡し訓練や災害伝言ダイアルの使用。

 

また、各家庭から預かっている非常食の試食、避難所の体験(マットや簡易トイレ)など。

コロナの影響で変化した内容もありましたが。

 

書き出してみると、色々ありますね。

 

 

今回は、ずっと小学部に所属している教員として、避難訓練や防災について思うことを書いてみます。

 

現在は知的障害の学校ですが、前任校では肢体不自由のお子さんも受け持っていたので、少し話の幅が広くなるかと思います。

 

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現任校の避難訓練(地震)は、

緊急地震速報が流れる

②各クラスごとにその場で安全確保(机にもぐる、頭を隠してうずくまるなど)

③それぞれの避難経路でグラウンドに集合

 

という流れです。

各教室に常備されているヘルメットも被ります。

 

一般校でもあるような、オーソドックスな流れでしょうか。

 

この流れで行った場合、障害のある児童ならではの様子はどんな感じか書いてみます。

 

まず緊急地震速報が鳴った時点で、音過敏のあるお子さんはびっくりして部屋を飛び出す・固まって動けなくなることがあります。

驚きや不快、恐怖で手が出る子もいるかもしれません。

 

続いて、普段と違う急な事態に対応できず、「机の下にもぐろう」や「丸くなって」ができない・させられることに抵抗を示すお子さんもいるかもしれません。

 

また、ヘルメットの硬さや違和感に抵抗を示すお子さんもいるかもしれません。

 

 

これらは、障害の特性上想定できることですし、実際に一定数のお子さんに見られることです。

ですが、実は多くのお子さんがそれなりに落ち着いている印象です。

 

「なんだろう?」と不思議そうにしたり、

何をするか分からないから先生の話を聞こうとしたり、

…そんな感じでしょうか。

 

それは、実際の災害時でもきっと同じことで、「地震だ」「命に関わることだ」「安全に逃げなくては」というところまで、認識できるお子さんは、知的障害のある小学部時点では少ないと思います。

中学部・高等部では違うかもしれません。

 

 

だからこそ、「急な事態でも先生の話を聞いて指示に従って動くことができる」

練習すること自体が、避難訓練になるのだと感じています。

 

例えばそこに、「怖い」や「いつもと違う」ことを感じることができれば、さらに学びになるかと思います。

 

 

では、知識として避難訓練の内容をどのように伝えるかと言うと、

地震、っていうことがあるよ」と、実際の動画を見せる。椅子をガタガタを揺らして体験させる。

 

「こんな音が鳴るよ」と、小さい音から流してみる。

 

訓練前に、机の下に潜る動きだけ取り出して練習する。

 

それら活動の流れを視覚支援で示す。

…などかと思います。

 

また、緊急地震速報の音や姿勢、ヘルメットなど、感覚過敏でどうしても苦手なお子さんには、

「5(秒)だけがんばろう」と練習することもあります。

ほんの少しずつでも経験を積めば、苦手感が減っていくことはあります。

 

 

 

さて、次は、肢体不自由があり自力では避難できないお子さんについて書いてみます。

 

前任校で担任してきたお子さんたちは、

移動は主に車椅子。(自走ではなく介助)

一部の移動や訓練として歩行器使用。

それ以外は、床(畳やマットなど)に座るor横になって過ごす。

という様子でした。

 

こういったクラスの場合、避難訓練となると、教員側の訓練の意味合いが強かったと思います。

 

緊急地震速報や、普段と違う経路で移動など、子どもたちにとっての経験を積むという意味ももちろん重要ですが、

 

どのように全員の安全確保をするか?

寝ているそばに倒れそうな物はないか?(車椅子や教材)

いかに安全に迅速に、避難場所まで移動するか?

 

これらが、本当に課題となる部分でした。

 

単純なことですが、子どもの数より教員の数が少なければ、1人で車椅子を複数台押す必要があります。

 

災害時、そんな状況で安全に避難できるのか?

 

地震か火事か、災害にもよりますが、そもそも車椅子で進める経路が確保されるのか?

車椅子ではなく、抱えて逃げた方が速く安全なケースはないか?

 

重複障害(知的・肢体)のクラスにいたときは、常に命の危険を感じていたこともあり、とても敏感になっていたと思います。

 

 

避難方法については、現任校(知的障害)のお子さんの場合も悩ましいところです。

 

実は本校は、津波ハザードマップでギリギリ浸水地域の位置にあります。

 

避難訓練ではグラウンドに集合ですが、実際の避難場所は、近くの小学校となっています。

クラスごとに、経路の確認や歩行練習はしています。

 

ですが…。

全校での避難訓練でも、実際の避難のように一斉にしてみる必要があるんじゃないかな…

もしそうなると、小学部の子どもたちは足が速くない子もいるし、全校のうち数名は肢体不自由のある児童生徒もいる。

 

狭い道路もあるし、全校児童生徒が手際よく避難できるのかな…?

 

抱っこやおんぶでも、とにかく速く避難しないと、津波がやってくる可能性があるんだから…

 

自力で速く逃げられる高等部のクラスの先生が、一部、他の児童生徒の避難を助ける必要が出てくるんじゃないかな…。

 

 

と、心配性な私はいつも考えています。

 

避難訓練についてのアンケートなどに意見を寄せたこともありました。

他のアイデアをもっている先生もいるみたいです。

 

日本各地で大きな地震が起こるたび、明日は我が身だと思いながら、学校の防災意識と危機管理について考えさせられます。

 

 

今の取り組みが不十分だと言いたいのではなく、

今の取り組みも必要だし、学べることはたくさんある。

 

でも、防災意識が高いに越したことはない。

他の取り組みや、さらに臨場感のある訓練も必要かもしれないな…

と、考えるのでした。

 

 

 

被災地の皆さまの、心と体が休まる時間が少しでも早く、少しでも長くおとずれますように。

 

お読みいただきありがとうございました。

退職の意向を伝えたら

こんにちは、kinosatoeです。

2023年が終わろうとしていますね。

12月のはじめに、管理職に正式に退職の意向を伝えました。

 

「話がしたいと言われた時、お子さんが小さいからまさか…とは思ったのだけれど。そっか…」という第一声のお返事でした。

 

残念だとか、勿体無いだとか、ある程度の評価をいただいていることは恐縮でしたが、無理に引き止められることはなく、受け止めていただきありがたかったです。

 

6月頃からかなりキツかったこと。

学校のことだけでなく、我が子のこと、家のこと、色んなことが重なっていること。

仕事の忙しさに慣れれば気持ちも変わるかと思ったが、やはり無理だと確信したこと。

 

…など、「相談」ではなく「決めたこと」だと汲み取っていただきました。

 

 

同じクラスの先生、学部の主事さん、同じ分掌の先生など、身近な方には伝えていましたが、管理職に伝えたことによって初めて「決定事項」となったような感覚です。

 

とっても、心が軽くなりました。

「辞めたい」から、「辞める」に変わった瞬間でした。

 

 

周囲の方の反応のほとんどは、

「えぇ!!勿体無い…!」でした。

また、「私もそういう時期があったよ、よく分かるよ…。こんな私でも何とかできたんよ。子どもも何だかんだ育ってくれたよ」と、励ましと前向きな言葉もくれました。

 

ありがたい言葉でもありますが、

「仕事より、自分の子どもと過ごす時間を選択する私は間違ってるのかな」

「皆が通る道を、私は乗り越えられなかったってことなのかな」と、悲しい気持ちになってしまいました。

 

でも、落ち込むというより、

そんな思考になってしまう今の自分はやっぱり無理しているんだと、状況の悪さを再認識しました。

 

そして、

比べる必要はない。

私は、自分が苦しいことに気付いて、

「心身ともに健康で、心のゆとりをもって我が子と過ごしたい」が最優先事項なんだと、

自分自身に伝えるようにしました。

 

「辞める」ことがはっきりしてからは、この願いが許されたような感覚で、本当に心が軽くなりました。

 

 

勿体無いと言ってくれた先生方に対して、嫌な気持ちは全くありません。

これまで、いつも、教えてくださり、助けてくださり、楽しく一緒に仕事をさせてもらった方々です。

ただ言葉が、今の私にとって前向きに受け取れなかったというだけです。

 

むしろ、お世話になった方々ですので、仕事の面では申し訳ない気持ちです。

なので業務の引き継ぎは、確実に、丁寧に、次の方が最小限の負担で済むように、やり切ろうと思っています。

 

 

 

逆に。

「いいね、いいと思うよ〜」

「そんなしがみつくような仕事でもないよ」と

言ってくれた方もいました。

 

素直に、嬉しかったです。

 

こんな自分を認めてもらえたような感覚です。

 

 

 

自分の退職とは関係ないことですが、

誰かが心に何かを抱えている時は、私もその人の気持ちをそのまま肯定したいなと…

単純なものですね(^^)

 

判断するのはその人。

考えるのも、価値を決めるのもその人。

その結果の恩恵を受け取るのもその人です。

 

自分とは別の誰かを、自分の価値観で捉えることなく接したいと感じています。

 

 

 

…少し話を戻しますね。

 

子どもが通う学童の役員さん(保護者さん)にも、退職のため退所する予定であることを伝えました。

 

そうしましたら、

笑顔で「え!おめでとうございます」との言葉をいただき、予想外で変な笑顔になってしまいました(^^)

 

その一言で、「同じように働いているままさん、遅くまで学童に預けているままさん、同じような悩みや苦労があるのかな」と思いが巡りました。

 

解釈とは勝手なもので、

「自分の判断は間違ってないのかな」と背中を押されたような気持ちになりました。

 

自分の判断に自信や責任が持ちきれていないようで、ダメだなぁ…

とも思ってしまうのですが。

 

 

 

という感じで、

今年中に心が軽くなり、すごくホッとしています。

そして、3月まで気を引き締めて頑張ろう!!と思っているところです。

 

 

お読みいただきありがとうございました。

小学部児童の「身辺自立」

こんにちは、kinosatoeです。

先週、2学期が無事に終わりました。

子どもたちが元気に冬休みに入ることができて、ホッとしています(^^)

 

 

今日は「身辺自立」について書いてみます。

 

私の勤める特別支援学校は、知的障害の学校です。

肢体不自由との重複障害のお子さんもみえますが、知的障害を主障害とする児童をイメージして書きます。

 

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本校(所属は小学部)では、

・排泄

・食事

・更衣

について、支援がなくても一人でできることを「身辺自立」していると捉えています。

 

それらは、日常生活において必要不可欠な要素であり、身辺自立していると、必要な支援はずいぶん減ります。

 

また学校では、クラス編成の参考にする項目でもあります。

それだけでお子さんを二分するわけではありません(^^)

 

 

では、身辺自立に課題のあるお子さんについで、どんな支援・指導をするか?

ほんの一例ですが、書いてみます。

 

・おむつ(紙パンツと言うこともあります)を履いているようであれば、少しずつパンツへ。

・排尿の失敗があれば、定時排尿や排尿の意思表示の取り組みを。

 

・偏食がきつい場合は、口腔内の過敏か?摂食機能の未発達か?味やにおいの苦手さか…実態把握をすることから。

・食具の適切な使用の練習は、給食以外の場面でも取り組みを。

 

・更衣は最低限の支援を見極めて、少しずつできるように。

・着脱動作のほかに、前後の確認や身だしなみを整える意識も。

 

などでしょうか。

全く同じお子さんはいないので、それぞれの課題に合わせて、必要で適切な支援を考えます。

 

身辺自立に向けた取り組みは、日常生活の中で常に行なっている感じです。

たとえば「図工の授業」などとは違いますね。

 

 

生活全てが学び。です。

 

日々の忙しさや、安全に過ごすという大前提の中で、「教員が手を貸す方が早い」と感じる場面はどうしても出てきます。

 

でも、だからこそ、

いかに子どもたちの学びの機会を確保するか、が大事だと思うのです。

 

いかに学びの機会を無駄にしないか。

 

日常的に、絶対に、行う機会のある課題なのですから。

 

 

そして、身辺自立に課題のあるお子さんは、毎日同じ課題を頑張って、毎日少しずつ変化して、たくさんの「すごいね!」「できるようになったね!」を見せてくれます(^^)

 

 

具体的な話にはなりませんでしたが…

こんな風に思いながら、日々の支援にあたっています。

 

お読みいただきありがとうございました。

学校の業務って

こんにちは、kinosatoeです。

 

私は特別支援学校で働いてきましたが、校種に関わらず学校運営としての業務が存在します。

 

今日はそれらについて書いてみます。

 

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学校運営にかかわる業務は「校務分掌」などと言われ、その種類は、校種によって結構違うと思います。

 

私が勤務する特別支援学校の場合です。

まず、学校全体に関わる分掌は、各学部(小学部・中学部・高等部)にそれぞれ数名ずつ配置されます。

教務部、総務部、情報部など…です。

 

続いて、「学部内校務」と言って、学部に関わる業務も分担します。

行事担当や、会計、交流…などでしょうか。

自身の分掌に関わる係を担当することも多いです。

 

さらに、クラス運営としての業務もあります。

毎日の授業の準備や、目標設定と評価、おたよりなど。

 

 

これらの業務は、いわゆるデスクワークや会議になるのですが、いつするのかと言いますと。

 

私の場合は、子どもたちが登校する前と、下校してからです。

子どもたちがいる間は、常に一緒にいますのでそれが仕事です。休憩時間はもちろん、他の業務をする時間はありません。

 

これは、小中学校や高校と大きく異なる点かもしれません。

小学校でも専科の先生がいたり、中・高は教科ごとに先生がいますよね。

つまり、授業のない時間が存在します。その時間に教材研究や、宿題・テストの準備…その他の業務をするのではないでしょうか。

休憩時間にならないのはどの学校も一緒かもしれませんね…

 

特別支援学校の本校でも、高等部は担当教科でない時間にデスクワークをしている先生がたまにいます。

 

 

さて先ほど「常に子どもと一緒にいる」と書きましたが、文字通り常にです。

例え休み時間でも、職員室に戻ることはありません。(授業の忘れ物をした時くらい)

 

トイレに行くタイミングを逃すのも日常茶飯事ですね。あるあるです。

…話が逸れました、戻しますね。

 

 

登校前に仕事をすると言っても、正確には始業前に、です。

これはどの学校でも多くの先生がされていることだと思います。

 

ですが、我が子の送り出しもありますので、私の場合は30分程度です。

その日の必要なことを確認したり、ほんの少し作業できるくらいです。

 

下校後というのは、具体的には15時半頃です。

ここでやっと「休憩時間」があります…が、教室の片付けをして職員室に戻って、ホッと一息ついて同僚と情報交換などをしているうちに終わっているか😅

 

時間が惜しいので、おやつを食べながら結局仕事をしているか😅

 

そこで会議がある日には、デスクワークの時間はなくなります。

残業か持ち帰り確定です。

 

持ち帰ることができる仕事も限られていますので、土日に学校に行くこともあります。

平日の夕方は我が子と過ごす時間にしたいので、持ち帰り仕事は、子どもを寝かしてからしています。

 

 

初めてのブログにも書いたように、子どもたちと過ごす時間は常に気を張って、安全確保を大前提にそれぞれに合う支援や指導を行っています。

そして、定時内にはとてもやり終えることのできない業務。

 

世の先生方は本当にすごいな…と、常々思っています。

私も独身の頃は2.3時間残業が当たり前でした。

校種や地域の風土、時代にもよるかもしれませんが…

 

特別支援教育に限らずですが、子どもたちのためを思うと、いくらでもやってあげられることがあるのです。

それは「試行錯誤」という意味でもです。

 

そう思って、時間のある頃は残業していました。

今より要領が悪かったのもあると思います💦

 

 

私が特別支援学校教諭を辞めたい理由は、

「特別支援学校」という要素より、

「フルタイム勤務」ということがほとんどのウエイトを占めています。

多すぎる業務や会議。

学校の子どものことも、我が子のことも、十分に見てあげられていないと感じています。

 

心身ともに疲弊しているのは間違いないのですが、それも

「特別支援学校だから」ではなく、

「今年の体制がキツすぎる」からです。

 

それらが合わさって、「ワークの比重が大きくてライフが疎かになる辛さ」を痛感したから、もう辞めようと思うようになりました。

 

ライフワークバランスって、本当に大事だし難しいものですね。

 

 

辞めようと心を決めて、こうやって文章にもしてみてずいぶん気持ちが楽になりました。

 

学校のことは私じゃなくてもできる。

でも、我が子にとっての母親は私しかいないし、私自身が我が子と過ごす時間を大切にしたい。

これが1番の本音です。

 

お読みいただきありがとうございました(^^)