ことばdiary

特別支援教諭を辞める小1の母

特支教員としての力量とは

こんにちは、kinosatoeです。

暖かい日が多くなり過ごしやすいなと感じる一方、気温の変化による体調不良が、自分も子どもたちにも見られる季節だなと感じます。

 

暖かくなると、血管が広がり血圧が下がり、ぼんやりと緩慢になったり眠くなったりしますね。

 

スクールバスで登校中に珍しくぐっすり寝てしまい、着いても起きない…ですとか、

椅子に座ったままぼんやりとして、指示への反応も薄い…ですとか、

そんな姿がちらほら見られました。

 

さて今日は、特支教員の力量ってなんだろうか。

そんなことをふと考えましたので、書きたいと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

力量がある先生は、つまりどんな先生でしょうか。

 

自分が学生の頃、「授業は分かりやすいけどちょっと怖い」とか、

「自分たちの学年では子どもにも保護者にも慕われてたのに、他の学年では煙たがられていた」などの様に、

 

良い面も悪い面もある みたいなことだったり、

価値観の違いで捉え方が違ったりすることがありました。

 

ですので、力量がある先生は〜…と一概に言うことは難しいなぁと思います。

 

 

では改めて、特別支援教育における力量とは。

 

私が一番に思いついたのは、

【広い視野と柔軟な発想、気付く力】です。

 

さらに付け加えるとしたら、

【広い視野と柔軟な発想、気付く力】で得た何かを

【実行する力、対応力】もですが、

 

前者がある先生は、もれなく後者も持ち合わせていることが多いと感じます。

もしくは、周囲に協力を求めながら行動していける先生だと思います。

 

 

特別支援教育においては障害特性の理解は必須ですが、どれだけ知識が豊富でも、それが指導力・支援力として活かせなければ、力量のある先生とは言えないのかな、と思うのです。

 

 

ここからは、特に小学部を想定した話にします。

 

知的障害のあるお子さんの、物の見え方、音の聞こえ方、さまざまは感じ方は、教員である私たちとは全く異なるものだと思います。

 

教員でなくとも、社会の多くの人とは違い、故に、障壁となるものが生まれているのだと考えています。

特別支援学校で働いていると、「ここが一般社会」「この子たちはごくごく普通」と感じてくることがあります。

教員数より、児童数の方が多いですからね。自分の方が、子どもたちの世界に馴染んでくる感覚でしょうか。

 

 

そして、一人一人がそれぞれに全然違うのです。

例えば同じ診断名でも、認知や感覚まで全く同じではないということです。

(障害特性として共通することも、もちろんあります)

 

 

そんな子どもたちと接するとき、【広い視野と柔軟な発想、気付く力】があると、どんな風に活かされるでしょうか。

 

例えば

 

偏食の理由はどこにあるのかな?ということに気付き、改善策に辿り着きやすいです。

食べることを拒否するお子さんは、促されると拒否します。そこしか見なければ、とても理由は分かりません。

「こんな少しだけだよ!食べてみて!」で、食べてくれたら苦労はしないわけです。

 

においなのか、温度なのか、具材の色や形なのか、はたまた盛り付けられた器の問題なのか…

広い視野で子どもとその食べ物を捉え、これはどうかな?と試行錯誤し、その中で見せた子どもの些細な反応を見落とさない。

 

そうすると、「食べられたねー!」という成長

につながるのです。

 

 

他には、

とにかく何かにつけて拒否が強い、大声を出したり泣いたりして取り組めないお子さん

についてはどうでしょうか。

 

どこに拒否ポイントがあるのか?を突き詰めず、「一緒にやってみよ!」「見てるだけでいいよ!」だけでは、根本解決にならなかったり、その子がただ我慢するだけだったり、逆に拒否を強めてしまったりする可能性があります。

 

この場合では、

活動を用意した教員はもちろん全て把握してるけれど、子どもにとっては「何をするか分からない不安」があったかもしれない。

そこに、その子特有の苦手要素がほんの少しあったのかもしれない。

 

「やらせられる」感覚に拒否が強く、活動内容は苦手でないけれど、教員の提示方法や誘い方が適切じゃなかったかもしれない。

 

一斉授業の周囲の音や周りの視線が耐えられず、嫌だと言う表現方法も分からず泣いていたのかもしれない。

 

 

無限の可能性が考えられるのです。

その可能性の中から絞っていくためには、普段の様子からその子の特性や世界を想像する力が必要ですし、些細な言動に気付かなければなりません。

 

細かい視覚支援のスケジュールが手元にあると安心したとか

選択肢さえあればできたとか

「嫌だ」の意思表示の方法(カードやサイン)を習得したら、泣かずに見ることだけはできたとか

 

そんな成長につながると思います。

 

 

この様な例えも、挙げ出したらキリがないのですが…

小学部のお子さんに多そうなケースで書いてみました。やや低学年よりですね。

 

例えがネガティブな内容になってしまいました。

もちろん、ポジティブな面を更にのばすというケースもありますよ。

また機会があれば書いてみたいと思います。

 

 

また、少し指導的な意味合いが強くなりますが、

入学まで集団生活の経験がなくルールに沿って動けないとか、

大人の指示がほとんど通らないとか、

そういったお子さんが入学されることも珍しくはありません。

 

お子さんにとっても、「友だちを待つ?!」とか、「言われた通りにする?!」などと困惑することだと思います。

 

この場合でも、

【広い視野と柔軟な発想、気付く力】があれば、無理強いしてルールに従わせるのではなく、その子の段階に応じて低いハードルの課題設定をしたり、

好みからヒントを得て、楽しくルールのある活動が設定できたりします。

 

指示の仕方ひとつでも、その子の気を引きやすい言葉、声量、タイミングに気付き、即座に実行できる力のある先生は、本当にすごいです。

 

そして、そういう先生は、少しのことでも即座に褒めてくれます。

お子さんが「ハッ」とした瞬間や、ほんの一つでもできたことに気付いてくれるからです。

 

「〇〇先生の言うことは聞くんだよね」なんてお子さんも実際によくいますが、それはその先生が怖いからではなく、

その子の特性に合わせて分かりやすい指示をくれるから。

些細なことでも褒めたり認めたりしてくれることで、正しい行動が分かり、自信がもてるから。

 

だと思うのです。

 

 

小学部のお子さんはおしゃべりしない子も多いですし、言葉はあってもコミュニケーションは成り立たないとか、暴言など不適切な表現になるケースもあります。

 

そして、教員とは異なる見え方や聞こえ方、感じ方で生活しているわけです。

 

だからこそ、教員は自分の価値観や感覚にとらわれず、広い視野で柔軟に考え、アンテナ高く気付いて支援にあたる力が必要ではないかな…と考えています。

 

 

私は、そんな力量のある先生方にたくさん出会いました。

一年間で見違えるほど落ち着いたり、できることが増えたりします。

 

自分もそんな先生でありたいなと、振り返りながら書きました。

 

お読みいただき、ありがとうございました(^^)